改めて「歩くことの楽しみ」を考えてみた

あきらんウォーク

外出すると、ちょっとした路地裏や河川敷、あぜ道などを軽装で闊歩し、お散歩を楽しむ人を数多く見かけます。
どこか目的地へ向かっているというのではなく、いかにも「ワタクシ歩いていますから」風なそぶりのひと、結構判っちゃうものですよね。

「歩く」という行為そのものを目的にしている人が多いということは、それだけ多くの方々がお散歩やウォーキングにある種の癒し、よりどころを感じているということの現れなのでしょう。

なにか考えが煮詰まったり、ストレスを感じたりしたときは、身体を動かして発散させるのが良いといいますが、ダンスなどは振り付けがあるし球技は相手や道具が要ります。

散歩・ウォーキングというのが一番簡単で「思い立ったらすぐ」できる気軽な運動なんです。

「歩くことの楽しみ」って?

今回、改めて「歩くことの楽しみ」というか、醍醐味に感じることを自分なりの基準で整理してみました。
僕の意見に対して「いやいや、そーじゃねーだろー」というご意見のひともいると思います。ごめんね。これはあくまでも個人見解です。

海や山、川などの自然に触れる

定番だけどこれ。昔は大自然と向き合うことは生きるための戦いだったけど、いまは都会の雑踏に身を置くことが戦いであり、山や海・大自然のパノラマな視界に身を置くことはレジャーの対象です。
自分をリニューアル(洗い替え)できるような感覚になれるのが心地よいですよね。

頭を空っぽに!楽しい空想・自分ワールドに浸る

 昔、俳優の小林稔侍さんの出演CMで

「今日はもうなんにもしないぞ」

というのがあり、いーなーって思った。

そのCMの当時、自分はまだ学生だったような気がします。すでに人間関係とかに心が蝕まれていたのかも(笑)
「なんにもしない日」なんてない現代人には夢の別世界。ゆっくりブラブラとさすらい人になって放浪するのが魅力に思えるときってありますよね。放浪癖があるひととか、きっとそう。

時間や季節の移ろいを感じる

日の出や朝靄、夕焼け、夜景、同じ空間でも時間帯によって様々な表情を私たちにみせてくれます。俳句の心得があるひとは部屋で机で唸っているよりも断然散歩するべきでしょう。
外に出てたたずんでいるより、歩いて足の裏を刺激して脳内にびんびん。よい考えが浮かぶのでは。

春の桜吹雪、夏の蝉時雨、秋のコオロギの音色、冬のアカギレした手の甲、散歩のなかでも季節を感じ、強烈な印象が得られますし。

僕は特に夕焼けが好きです。夕焼けは四季を問わずに美しいから。小学生の頃、手塚治虫さんの「火の鳥 望郷編」のラストシーンで夕焼けを見つめながら会話をするシーンがあって、とても感情が揺さぶられました。部屋のカーテンをあけると、ちょうどサンセットが繰り広げられていた・・・・。僕はあの日の日没の感動をいまも忘れないです。

ロマンに通じる「旅」の疑似体験

永六輔さんの名言に「知らない街角を曲がれば、それはもう旅」というのがあります。家を出て、いつもの道をひとつ逸れると、もう心に密かなワクワクが描かれてくるから不思議です。

会社帰り、最寄りの駅から自宅まで、わざと迂回ルートを探して遠回りして帰ろうって思った経験はありませんか?
予定調和を少しだけ崩したときの爽快感があります。珍しいジュースが売っている自動販売機をみつけたり、お屋敷町を通り過ぎるとき、ベンツとBMWが並んで駐車してある大豪邸を見かけて「いったいどんな人が住んでいるんだろう」と想像を膨らませたり、とかね。 

冒険心(アドベンチャー)の勃興

はじめての土地でなくて、かつて来た経験がある所でも、再び訪れて歩いた際に風景が様変わりしているってこと、ありますよね。
10年ひと昔は死語で、いまは3年ひと昔だから。

さっきも書きましたが、人間には予定調和を崩したいというプリミティブな欲求があると僕は思っているんです。歩いてうろうろと周囲を散策しさえすれば、通常なら見られることがなかった景色がビンビン脳内に飛び込んできて刺激を与えてくれます。

この道の向こうはどこにつながっているのだろう?っと思って勇気をもって進んでみると、実はよく知った場所へ通じていた、とか、面白い経験をした方もいらっしゃると思います。そういうとき、まさに散歩の醍醐味を感じますよね

皆様はお散歩やウォーキングに際して、どんな楽しみ、癒しを見出していらっしゃいますか?

僕が書いた以外の楽しみ方もたくさんあると思います。いろいろと教えていただけると嬉しいです。

でわ~(^^)/

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