たまーに初対面の方とのお酒の席などで「ご趣味は?」と訊かれることがあります。(お見合いじゃないよっ)
そういうとき僕は無難でつまらない回答ではありますが「お散歩と読書です」などと返したりしています。
(だって事実だもーん)
たいがいお相手は次の一手として読書については「どんなジャンルがお好きなのですか?」ときて、そのジャンルについての掘り下げた会話に発展したりもするのですが
「お散歩です」に対しては・・・・・、
「ああ!健康的ですね♪ウォーキングですかっ」
というレスポンスを頂くことがあります。
私のなかでは「お散歩」と「ウォーキング」というのは明らかに異なる概念なので
(いやいや・・・、そこは脳内変換しないでよ)
とも思うのですが、相手は初対面です。
話を盛り上げるために訊きたくもないことを訊いてくれているわけだし
そこはあえて戦いを挑まずに同一のものとしてライトな会話を進めていくようにしています。
でもでも・・・(-0-)
厳密な学問的な解釈上、違いの有無がどうなのかは知りませんが、
一般的には「お散歩」と「ウォーキング」ってニュアンス違うよね?
お散歩とウォーキングって別物?
実際に右足と左足を交互に出して進むことが「お散歩」であり「ウォーキング」でもあるという点からすると両者は同一ですし、翻訳ソフトで「散歩」と打ち込むと「Walk」と出てきます。
しかしながら「じゃあ、どっちも一緒じゃん?」と訊かれてしまうと「いやいやいや・・・」と手を遮る自分がいたりするわけです。
両者の違いについて、僕の印象をすごく乱暴にいいますと、散歩は牧歌的、ウォーキングはスタイリッシュなイメージ、ということになりますでしょうか?
イメージ、とかニュアンスとか・・・(-0-;)
そんな不確かな表現ばかり使ってしまってごめんなさい。
さて、ではここからが僕の中での整理です。
「お散歩」とはなんぞや?
ブラブラと散漫に歩く=散歩 というのが私の認識なんです。
物見遊山・・・っていうのかなぁ。
あまり目的を考えず、暇つぶしのように行き当たりばったり、目に見える自然や街並み、人々の姿とか、視界に入るものの刺激を受けながら、浮かんでは消える雑念や妄想、たまに鼻歌とか、とにかく海面をただようクラゲのような気分なるのが私にとっての「お散歩」の定義かな?
「ウォーキング」とはなんぞや?
「歩く」こと、それ自体が目的になっているのが「ウォーキング」
もっというと「何分歩くか」「何歩歩くか」という明確なゴールがあって、その達成のためにスタスタと規則正しくリズミカルに、ひたすら律義に歩く。その先にはダイエット等の「真の目的」があります。
だから信号で足止めされたりすると「チッ」と思ったりして(笑)
「あと何百歩かないと今日のノルマが」というようなストイックさがあります。
目標を達成できるとうれしい!でもサボっちゃうと自己嫌悪!
それが私にとっての「ウォーキング」ですかね・・・・。
結論 行為は一緒でも本人の意識で分類される
どっちも傍から見ると「歩いている」という事実に変わりはなく、
単に本人が「ブラブラしたくて歩いている」のか
「歩数の目標をもってそれを目指して歩いている」のか
という違いですね。
温泉に入っていても「リラックスするため」なのか「湯治のため」なのか、他人にはわからなくても本人の意識するところは全然違う、というのと同じです。
でも「どう意識するのか?」ってすごく大事だと思います。
本人が「お散歩気分」で歩いているのであれば、道端の草花に視線を向けたり「ああ、最近気候が温かくなったから半袖の人が増えたなあ」とか「今度あのお店に行ってみようかな」とか、いろいろな雑多な興味で
脳の中がグルングルン。歩いていても「運動している」という意識は薄いから運動の効果は比較的薄いんじゃないかと思います。
だって、加圧式トレーニングとか、脳を騙すことで筋肉に作用するでしょ?「運動するんだ」という強い意志がないと、運動効果は薄いのかな?って。
本人が「ウォーキングするぞ」という強い能動的な意識を持っていれば
時計や歩数計をもって「今日は最低このくらいは歩くぞ」という目標をもって「はっはっ!すっすっ!」と2回吸って2回吐く、みたいは有酸素運動を意識して大股でリズミカルに歩き、体重計に乗るなどのケアもします。
こっちの場合、運動効果は高いけど、リラックスして頭を空っぽにするようなアルファー破みたいな効果は薄いんじゃないかなあ。
結局のところ、自分がどちらを求めるのか、用途によって自分のなかでスイッチを意識して、それこそカチッと切り替えて使い分けていくのがよろしいのではないかと思います。
それでは皆さん!御機嫌よう (^-^)V ぶいっ
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