「銀座木村屋」の伝統のあんぱん!をテイクアウトして自宅で食らうの記!

あきらんイート

銀座の街を歩いていると、多くの老舗百貨店やブランドステージの高いショップを眺めながら、即席でエスタブリッシュメントな気分に浸ることができますよね。
自分はぜんぜん1,000%庶民なのに何故だかお財布の中も気持ちも気高く優雅になったような気分。

銀座の街って、そういう不思議な力があります。
皆さんも気分がふさいだ時は銀座通りを格好つけて歩いてみるといいですよ。
きっと心がウキウキしてくるのがわかるはずです。
楽しさを演出する工夫、常に自分自身で考えていかなくっちゃ!ですよね。

と、高揚した気分で歩いていると銀座三越の向かい側の道路に、ふと懐かしい、というか見慣れた看板を見つけることができます。

子供の頃、近所の駄菓子屋さんのトタン屋根の脇に取り付けられていた縦長の看板!
それがこの銀座の街にデデンと構えているのは一見違和感・・・。でも、この「キムラヤ」さん、老舗も老舗、19世紀からこの銀座に店を構える由緒正しきパン屋さんなのです。

「銀座木村屋」

今回は、この由緒正しき老舗の店舗で、由緒正しき「あんぱん」を買って食べた!というお話(笑)

「銀座木村屋」その歴史と伝統!

創業はなんと明治2年!西暦でいうと1869年です。
創業者は木村安兵衛さんという方で、いまの新橋に「文英堂」という店名で創業したとのことです。
まだ薩摩や長州の「官軍」が江戸の町を戦勝者よろしく大手を振ってウロウロしていた頃ですね。
明治3年に屋号を「木村屋」に改め、明治7年には銀座に移転したというから、本当に日本の近代化とともにその歴史をスタートしたパン屋さんなのだといっても過言ではないと思います。

いま誰もが当たり前のように食べている「あんぱん」も、明治7年にこの「銀座木村屋本店」が発売したのが「元祖」だというからすごいですよね。

現在の固定観念では鋭く洞察できないかもしれませんが「パン」という洋食文化の代名詞のような食材と「餡」という日本独特の食材をミックスさせるというのは、誰も発送し得ない「想像を絶すること」だったと思われます。
いま「あんぱん」はどこにでも売っている当たり前の存在です。ただ、そういう存在にまで引き上げたのは「最初に挑戦した人」がいたからです。
当時は「邪道」ともみなされていたかもしれません。
なにをするにしても「先駆けになる」というのは大変なことで、もうその事実だけで充分評価に値すると思います。

いまも創業当時からの製法である「米・麹・水」で拵えた酒種醗酵種(さかだねはっこうしゅ)という酵母菌での製パンの伝統を堅守しているところは注目に値します。「パンといえばイースト菌」というのが、自分のなかでは脊髄反射なくらい常識でしたが、ここ「銀座木村屋」では、その常識の治外法権にいるパン生地を毎日でも味わえるのです。

「2つのキムラヤ」について

「キムラヤ」といえば街角の駄菓子屋やスーパーで見かける、冒頭でもあげた牧歌的な赤字に白の立て看板があまりにも有名です。

この「キムラヤ」ブランドには2つの大きな系譜があります

ひとつは「株式会社木村屋総本店」といって、関東に20拠点以上もある直営店で製造されたパンを、コンビニやスーパーに卸している系統。私たちが普段みかける「キムラヤ」のパンは、この「木村屋総本店」で製造されたパンであることが多いですね。
このスーパーやコンビニでよく知られている「キムラヤ」ブランドがあるからこそ、滅多に銀座になどへ近づかない私のようなものでも「キムラヤのパン」に知見があるのだと思うと、老舗といっても、やはり庶民的なお店への展開はネームバリューを向上させるために有効な展開戦略だよなぁ、と思います。

もうひとつの系譜が今回伺った「銀座木村屋」です。
この銀座の一等地に立つ8階建てのビルの7階・8階がパンの製造工場で、朝の6時頃から製造を開始。
職人さんがひとつひとつ丹精込めて拵えたパンが、1階のベーカリーショップに運ばれてきて、私達が「できたて」を購入できるという寸法。つまり、ここ「銀座木村屋」では同じ建物内で作られたパンを、その日のうちに食べることができるということなのですね。ファンタスティックです!

因みに2階から4階まではカフェや洋食レストラン。そこでももちろん作り立てのパンを戴けるのだそうです。

「木村屋総本店」のパンと「銀座木村屋」のパンは、その対象顧客、保存期日の差異などもあり、製造工程も異なります。
全くの「別物のパン」と言われていますから、両方を食べ比べてみるのも面白いかもしれませんね。

買ってみた!食べてみた!伝統の「あんぱん」

前置きが長くなりすぎたっ!(0-0;)
ということで、実際にパンを買ってみました。

私が訪れたのは夕方に近い時間でしたので、明治天皇にも献上されたという一番人気の「桜」は完売でしたが、二番人気の「小倉あんぱん」のほか「けし」と「うぐいす」を購入することができました。

テイクアウトで購入した後、自宅に帰って3種類を袋から出し、わずか10分くらいで一気呵成に食べ尽くしてしまいました(笑)

パン生地は「酒種醗酵種」という酵母菌によるものかどうかは判りませんが(笑)モッチリとした食感と風味で、パサパサ感とはかけ離れています。心地よい喉越し感もグー!生地だけ食べても2~3個イケル!というのが私の正直な感想です。

そこに更に自慢の餡が絡んできて、一緒に食べるとどうなるか??

それはねー、ついさっき書いたようなことになります。
ガツガツ!ムシャムシャ!と食べてしまい、ゆったりと味わうことすらせずに3つとも瞬時に胃袋のなかにお出かけしてしまいました(笑)

つまりは、まあ、美味しかったということです。
(※^0^※)

さいごに

「10年ひと昔」はもう死言で、昨今は「3年ひと昔」が相応なのだそうです。
世の中のドラスティックな変革の波にさらされ、形あるものは滅び、旧種は新種に駆逐され、新しいツールやグルメ、文化へと人の浮気心は常になびきます。
それが社会に良い意味での刺激や変革をもたらし、文化はより洗練されていくのですから、選択と集中、淘汰と探求は、それ自体、素晴らしいものであると私も考えます。

でも、そういう激流に飲み込まれずに古くからの伝統、製法を守りながら暖簾を維持しているお店をみたとき、私だけではなく誰もが心の中でどこか「ホッ」とするような気持ちを覚えるのではないでしょうか。

嘗て木村安兵衛という人物が、西洋のパンと日本の餡を結合させるというコペルニクス的発想の転換で「あんぱん」という新しい文化を創造し、ドラスティックな変革の「先駆者」となりました。そしていま、彼が死したあとも、その「変革」を「伝統」にまで昇華させて、黙々とそれを守り続けている人たちがいる・・・。
「銀座木村屋」の7階で今日も「あんぱん」をひとつひとつ手作りしている人たちが、まさにそうです。

新しいものを追い求めながらも、心のどこかで「変わらないでいるもの」にシンパシーを覚える、そういう気持ち、言葉ではうまく言えないけど、みんなが持っていると思います。

「銀座木村屋」の本店1階が今日も繁盛して、お客さんで溢れているのは、その表れなのではないでしょうか?

と、いつになくウワゴトのように語ってしまった(笑)ところで今回は失礼いたします。

「このあんぱんマイウー」の一言で済むものを・・・、
理屈屋でごめんよ~(>0<)

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