440年前の「落書き」発見のニュースに想う

あきらんコラム

とても興味深いニュースに触れましたので、今日はその話題でお話をしたいと思います。

岐阜県御嵩町にある、国の重要文化財「願興寺本堂」を解体修理中なのだそうですが、その際、仏壇背面の壁に、約440年前の「落書き」が発見されたのだそうです。

440年前の「落書き」発見!すごい!

この本堂は「東山道」沿いにあり、昔から多くの旅人が行き交う道だったそうですが、その人たちが通りがかりに地名や人名を墨で書きなぐった後が一面に残っていたのですって。

短歌も書かれていたそうです。

「かきおくも かたみとなれや ふでのあと
   我はいづこの うらにすむとも」

この歌「自分はどこで朽ち果てても、この筆跡よ形見になってくれ」という大意なのだそうです。

このニュースに出会い、この短歌に触れて思ったこと、それは400年以上昔にこの日本に生きて、この熱い思いを書きなぐったかたへの切なさと敬慕です。
どんな方が歌ったのか、たしかに「詠み人知らず」ではありますが、この方が願った「かたみとなれや」は、いま確かに叶ったのです。壮大なロマンですよね。

人生を懸命に生き抜いて、おそらく決死の旅の途中で自らの想いを歌に込めたのだと思うと、同じ日本人の先輩としてこの方の生き様が愛おしく思え、また誇らしくも思えます。
表現は変ですが、無性にこの方を抱きしめたい気持ちになります。

ニュースでは「落書き」とありますが、これはもう教養の発露でありアートですよね。

日本人は「落書き」好き?

橋のガード下とか、そういうところに行くと、落書きはいっぱいありますよね。
440年前の方の落書きと違って、現在では落書きは犯罪です。でも、世の中からは一向に無くならないです。

電信柱や路地裏の廃屋の壁、歩行者天国の立て看板など、あらゆるところに落書きを見掛けます。子供が書いているんじゃありません。文面や絵を見る限り、分別のある年齢以上の人が書いています。
世界の人々がどうか、までは知りませんが、少なくとも日本人は「落書き」が好きなんでしょうね。

私も長く過ごした家を引っ越すとき、机の裏の壁に、幼い頃に書いたであろう落書きを発見し、
「これを書いた時の自分に戻りたい!この壁ごと四角く切り取って持っていきたい」と名残惜しく思ったほどです。
それを書いた時の想いとか、そういうのは全然覚えていないですし、そもそも無邪気な幼児の時に書いたものなので、なんの想いもなくテキトーに書いた落書きなのでしょうけど(笑)

その話を会社の飲み会の席で冗談で話したことがありましたが、そこに同席したほとんどのひとが「ある!自分にもそういう思い出が」と同意してくれました。

江戸時代 アンコールワットに日本人の「落書き」が?

1992年に「アンコール遺跡群」として世界遺産登録となったアンコールワット。
12世紀に建立されたヒンズー教の寺院でしたが、ながらく存在が謎と言われ、1860年のフランスの調査団に「発見」「認知」されるに至ったという聖地ですが、その際、回廊の柱に日本の武士の落書きがあるのが発見されたそうです。

「寛永9年正月、生国は日本、肥州の住人で藤原朝臣の森本右近太夫~」

と、つらつらと書き連ねられており、海を渡ってはるばる来て、仏像4体を奉納したこと、父の安寧と亡き母の成仏を願うため、などとの理由をここに記す・・・という内容の文面なのだそうです。

すごいですね!さすが日本人。寛永9年といえば1932年。江戸時代初期です。
当時、日本は「鎖国」などと言っていますが、今みたいに税関もない時代です。船で漕ぎ出でて、そのまま黒潮にのって、はるばるカンボジアまで仏像を奉納にきて、「落書き」を残して帰るなんて粋ですよね(笑)

ちなみにカンボジアの内戦期にこの回廊はペンキで塗られてしまい、いまではその「世紀の落書き」は判別できないそうです。
残念ですね。でも、塗られて消されるのが、ある意味「落書き」の宿命でしょう。

最後に

今回は「願興寺本堂」の440年前の落書きの発見ニュースを見て、つれづれなるままに(笑)落書きについて思いつくところを語ってきました。

繰り返しますが現在では路上や建造物での落書きは犯罪です。
絶対にやってはいけません(>0<)
でも一方で、昔の時代の方々の落書きは、もはや落書きではなく「歴史的文化遺産」です。
現に、この440年前の落書きも、きちんと保存するように文化庁が指示をしたそうです。

紙や画材を用意されて決められた時間に「さあ書きなさい」と言われて書く書画は、ある意味予定調和の域を出ません。
和室に座って正装し、心を落ち着けて句を捻るのも、たしかに格調高い作品は生まれるかもしれませんが面白味には欠ける印象です。

いっぽう「落書き」は抗いがたい感情に揺さぶられて、その場の思いを吐露するがごとく「書きなぐられる」ものです。
そこには人の真実があります。誰からも「書きなさい」と言われていないのに、ただ「書きたいから」書いている。
その文章や歌、絵にはみずみずしい生命が宿っていると思います。

まとまりのないまま書き始め、まとまりのないままこの記事を終えます。
そういう意味では、この記事も「ブログへの落書き」みたいなものですかね(笑)

では、今日はこのへんで~(●^-^●)

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